とても不思議で奇妙な、世界のワールドミュージックの魅力を、アフリカからオセニアニアまでの6大陸を周って、一挙ご紹介します。 エキゾチックな音楽を味わって下さい!
由緒あるUK、あのビートルズが生まれたと言えばイギリスだ。イギリスは、四つの島から成り立っておりそれぞれ個性のある島々が存在している。
イギリスではサッカーだったりハリー・ポッターだったりと巷で聞けば誰でも知っている芸能が有名であるがイギリスはビートルズが生まれた通り音楽の街でもある
イングランドやスコットランドの陰に隠れてアイルランドは結構地味な位置に属しているがアイルランドの民族音楽は、イングランドより負け時ともう、素晴らしいです。ケルトと聞けば、小説や神話が思い浮かべるが
、
例えば仕事終わりの酒浸りのオッチャンらが居酒屋パブで日々の鬱憤や世間話等をビールで煽りながら語り合い騒ぎあうもうハッピーでハッピーな美しいとしか言えない音楽です。例で言えば無印商品のBGMとしてかかっているので
一度は耳にした事もあるんじゃないでしょうか…..?ザ・チーフタンズはそのアイルランド音楽の代表的なグループでアイルランドの古いスタイルを続けていながら、あのU2やローリングストーンズとも共演し、数々の賞をとった素晴らしいバンドです!素晴らしいバンドです!(二回目)
メンバーは、長老でバンドの創設者、イーリアン・パイプで幽玄な音色を奏でる偉大な、パディ・モロー二アイリッシュフルートを吹き時には、狂気も感じさせる、マット・モロイ膝に立てて叩く、丸い円状の打楽器バウロンを片手に、常に笑顔を絶やさず透き通るような美声を響かせるケヴィン・コーネフ。そして、バンドの一番の華ともいえるフィドルを担当するショーン・キーン(フィドルとは、ヴァイオリンの別称で、アイルランドではそう呼ばれています)
を基本メンバーに最近は、タップ・ダンサーも入りバンドに華を添えている。このタップ・ダンサーはもうほんとに只者じゃなくて、動きがもう人間じゃない動きをしています。さらに、美男美女であります。
タップダンサーの、ピラツキ兄弟はとてもお互いイケメンです因みに兄貴のジョン・ピラツキのほうは、タップダンスの他にフィドルも弾きます。これまた美しい女性の、アイリッシュ・ダンサーのキャラー・バトラー
最近加入した、アイリッシュ・ハープの、トリーナ・マーシャル、ギターの、ジェフ・ホワイト、そして、この人も最近加入した人ですが、とても綺麗でまさに、アイリッシュ….と言いたい美しい女性ヴォーカルのアリス・マコーマック
そして、この人を忘れちゃいけない、今回のゲスト・ヴォーカルであり、今回の主役の、ヴァン・モリソン。ヴァン・モリソンは、ゼムというロックバンドのヴォーカルでその後ソロに転向して、昔のR&Bやブルースやジャズ等をルーツに「クレイジーラブ」や「ムーンダンス」等の名曲を書いたシンガーソングライターです。彼の観客に媚びない性格や、少ししわがれた歌声で多数のコアなファンやアーティストからも人気を博しました。その彼が何故、チーフタンズのゲストとして参加したかと言うと彼もまたイギリス人で、北アイルランド出身なので自分の故郷で触れていた音楽なので、参加する事は彼にとっては自然な事なのかもしれません。自分も最初は驚きましたが、彼も音楽も自分のルーツをも大切する貴重なアーティストのような気がします。
それでも、もう大大大傑作と呼べるような昔から続くアジアや日本人の情緒と琴線に触れるような名盤です。遠いイギリスのアイルランドから送られてきた音楽なのに何処か懐かしいノスタルジックな気持ちにさせてくれるこの
アルバムには、正直不思議でなりませんがそれを凌駕するぐらい本当大好きなアルバムです。2012年の日本の来日公演に行ってきましたがもうコンサートは,至福でもうまるで天国のようなひと時でした。おなじみのメンバーや、タップダンサーのピレツキ兄弟やキャラーバトラー等がバンドに花を添えて、観客を彼らのアイリッシュなムードに連れて行きました。今でもこのコンサートの事は時折氏い出します。
「車椅子に乗ったもう一つの奇跡」
アフリカのコンゴ民主共和国旧ザイールのアフリカの貧困地域から愛嬌と底知れぬ根性のパワーで遂に世界へと羽ばたいたバンドスタッフ ベンダ ビリリ。彼らはメンバーの半分が小児麻痺のポリオを患っていて半身不随で日常から車椅子で生活している。
でもその車椅子は、普段僕らが目にしている様な車椅子じゃなくて辺りのゴミや廃材からかき集めて自ら制作したDIY木製車椅子バイクだ。
おまけに彼らが住んでいるコンゴ共和国キンシャサは世界でも一位二位を争うとんでもない貧困地域で政府の手が行き通っていなくて辺りにゴミが散乱していてフラッとしていれば辺りに潜んでいるストリートチルドレンに金品や衣服
食物を盗まれてしまう……そんな地域だ。彼らは特定の家はなくいつもは近所の動物園で彼らのグループ.ホームレス.ストリートチルドレンらと一緒に寝泊りしている。バンドのリハーサルもそこで行われている。
今の普段僕らが住んでいる日本から見たら、想像も付かないぐらいとんでもない劣悪な貧困環境だ……いまの言葉を並べただけでも何にも言えない悲しみが湧き上がってくるが……彼らは、そんな悲観する運命を大口開けてギャフンッ!と笑い飛ばす様に底抜けなファンキーな陽気さと健常者顔負けのエネルギーでその逆境を吹き飛ばしている。
バンドのリーダーで最高齢の長老リッキーは昔,キンシャサで行われた1974年のモハメド・アリとジョージ・フォアマンのボクシング「キンシャサの奇跡」と呼ばれた世紀の一戦がある。しかしこの「キンシャサの奇跡」と呼ばれた理由はまだあります…。このモハメド・アリの一戦でもとんでもないのだがこの時代はもうすごい 何って前座が凄い…..前座のレベルを遥かに超えている。
前座である。何と、前座はあの、ソウルのゴッド・ファーザーのジェームス ブラウンを筆頭にビル・ウィザース、セリア・クルーズ&ファニア・オールスターズ、B.Bkingらが出演した世にも伝説的なコンサートがある。
だが、当時出演したアーティストは残念ながら亡くなってしまった人の方が多く当時の現役バリバリな姿を垣間見れる意味でもとても貴重な資料であり、伝説的なコンサートである。
リッキーはその生で動くジェームス・ブラウンに衝撃を受けて感動しそして彼はバンド発足へと足を踏み入れた。アメリカの黒人のルーツ起源を辿っていけば元はアフリカの地に還っていく…..だから、ジェームス・ブラウンがこのコンサートでアメリカから黒人の故郷アフリカの地へと還ってきた事に昔から長らく続いていたアメリカの黒人の奴隷制度の解放に誇りあるルーツの回帰を感じさせたと思います。
そして、彼らの飛躍をフランス人のプロデューサーが、追って最終的には成功するまでを追ったドキュメンタリー映画がDVDで発売されています。「ベンダ・ビリリ~もう一つのキンシャサの奇跡」良かったら、一度手に取って見てください。日本にも、2010年に来日しています。また、振り返って、予告編を見てみたら様々な感情が湧き上がって、泣きそうになるのが堪えるのが大変でした生々しく、それでいて陽気で生きる希望を貰えるそして、今は貧困にあえぐアフリカの人々に力を与えた。音楽は、壮大なドラマである。
03「平和への、祈り」
自分は昔から、東南アジアや中東の世界や民族音楽民族衣装に憧れをいだいています。中国やモンゴルの民族衣装や文様を象ったエスニック・ファッション。ノスタルジックなシタールや宇宙を駆け巡るタブラ、幽玄な鍵盤楽器ハルモ二ウムの音色、エキゾチックな香りや雰囲気が漂うインドやアラブ、パキスタン等の民族音楽や世界に触れたいと思っていた。サッチャル ジャズ アンサンブルはパキスタンの古くからの古典音楽を続けている民族楽器を奏でる
9人組の楽団スタイルのバンドだ。
メンバーは殆どオジサンで仕事をしている傍らに楽器を練習している。皆の楽器の腕前はもうプロ級の達人たちだ。だが彼らが住んでいるパキスタンの都市ラホールは、政権が交代して過激な原理主義の思想に転換してしまい、音楽は禁止され転職を余儀なくされて….楽器を持っていたり練習をしているだけで、楽器を取り上げられ、罪に捕らわれてしまうそんな恐ろしい政治になってしまった。彼らは、隅に追いやられプロの演奏者である事を隠して生活費を稼ぐために食堂やリキシャの運転手などで生計を立てている傍ら楽器やバンドの練習するようになった。(リキシャとは、インドの人力車の事です)この状況でも、音楽をやっている者からしたらあり得ない酷い政治状況だと感じるだろう。
現にイスラムやパキスタンは芸術家や豊富な音楽文化、映画産業の素晴らしい側面より、一部の過激な勘違いや思想、行動のせいで語弊になるが彼らはテロリストであるとの間違った情報のほうがTVやメディア巷では表面化してきている。
そんな事は絶対絶対あってはならないが。バンドの指揮者で編曲も行い時にはヴァイオリンとハルモ二ウムを弾くニジャート・アリーはこうつぶやいた「全世界に知ってほしい。パキスタン人は芸術家でテロリストじゃないことを」
これは僕らや彼らにとってとても切なる願いだ….一部の過激思想やテロリストの非道な行いや宗教の違いでいわれのない間違った偏見の目を向けられて彼らも悲しくてやるせなく傷ついたと思う。身に覚えのないテロリスト呼ばわりされた筈だ……。そんな音楽や芸能が衰退していっている状況でも彼らは母国の音楽を心から愛し続け少しでも世界に彼らの本当の姿を知って貰おうと健気にニコニコ笑いながら演奏しているの見ていたら、涙を止めることは出来ない思う。
そして、打つ手をなくした彼らが最後にも挑んだのはなんと、本場アメリカのジャズのスタンダード・ナンバーのカバーだった。バンドのチーフでありイギリスで成功した実業家のイッザト・マジードが自分の私財を投げ打って音楽スタジオを作り彼らは、「テイク・ファイブ」というデイブ・ブルーベックが作曲した昔のジャズのスタンダード・ナンバーのカバーに挑んだ。パキスタンの伝統音楽とアメリカのジャズのスタンダート・ナンバーの融合はユニークで思っても見なかったが、とても驚いたことに、彼らはそのカバーした「テイク・ファイブ」を最新のインターネットのYOUTUBEにアップロードした。最新のインターネットの世界と聞くととても勝手ながら古典音楽を演奏している、昔堅気な彼らとはとても無縁なような気がするが…..そうせざるを得なかったと思う彼らにとっては危機的状況の筈だ。そしてアップロードした「テイク・ファイブ」のプロモーション・ヴィデオは、瞬く間に世界を駆け巡り大ヒットして100万回を超える視聴回数アクセスを超えた。特に、原曲の作曲者デイブ・ブルーベックは「最も面白く他に類を見ない“テイク・ファイヴ”の録音!」と絶賛した。この事だけでも、とても信じられない出来事だが…..(自分なら卒倒してしまう…….)
彼らには思ってもみない大反響で,おかげで母国の新聞にも一面で掲載されて、一躍有名人となった。だが、物語はまだまだ続く…..YOUTUBEのネットの発信力は本当に物凄い…..パキスタンから、遥か遠い海を越えて彼らがカバーしたジャズの本場アメリカにもその動画が届き、今現在ジャズ界のトランぺッターの若手最高峰の天才ウィントン・マルサリスの目と耳にも入り、まさかの彼らと本場NYでジャズのセッションを行おうと依頼が舞い込んできたのだ……….。もう、正直話についていけないがパキスタンの小さな都市の片隅で起こった信じられないシンデレラストーリーなのは、間違いない…..。だが、彼らはずっとパキスタンの古典音楽のスタイルを続けていたのでいきなり、理論も音楽の構造も違うスタンダード・ジャズに挑むのでは苦戦していた。何だって、楽譜の書き方やリズムの拍子の取り方一つでも全然違うのだ…..。
待ちに待った海外、憧れのNYの地に立てる…..貧困に仰ぐ皆の為にも…と期待に胸を膨らませて飛んだNYの街は、彼らの目にはどう映ったのだろうか宗教の厳しい戒律もなければ、食べる物にも困らないしいくら肌を露出して町を歩いても構わない。街並みも違って豪華でカッコよくどこまでも自由の風が吹く芸術の街だ。全てが、計算づくされたみたいな物語の進み具合だがそれが実際にあった話なのが凄い。そして、このお話は、映画になっており「ソング オブ ラホール」という映画になっています。パキスタンの市民の夢と希望を乗せたドキュメンタリー映画ですこの映画は短い映画ですが本当に素晴らしい映画です。是非、音楽が好きな人ならば一度だけでもいいから、見てください!ウィントン マルサリスとのセッション….そして無事彼らはライブの行方はいかに….気になる人は絶対見てください
04「ブラジルの北島三郎!?」
ブラジルといえば、最近リオで行われたリオ・オリンピックや定番のリオのカーニバルでのセクシーな踊り子がサンバのリズムに乗って陽気に踊ったり、はたまたオシャレな女性陣達が好みそうなカフェのスターバック等BGMとしてかかっているボサノヴァが生まれた国でもある。
例えば、日本では、よく店で流れている雰囲気のあるインストゥルメンタルを聞いてみたら、何処かで聞いたあの曲や洋楽の定番ヒットがオシャレにボサノヴァアレンジされて店にBGMとして流れている。
そしてブラジルのワールド・ミュージックの最も有名なアーティストといえば「マシュ・ケダナ」で誰もが一度聴いたら知っている名曲で知られているセルジオ・メンデスだ。だが………今回ご紹介したいのは、このセルジオ・メンデスではなく、勿論冗談で付けたニックネームだが「ブラジルの北島三郎」と呼ばれるミルトン・ナシメントだ。まぁ、ここまで来ていきなり素っ頓狂なニックネームが飛んできたことをここでお詫びしたい(笑)でも、ミルトン・ナシメントはその「ブラジルの北島三郎」」と呼ぶに相応しいミュージシャンである正にブラジルの北島三郎と言い表すに値する彼独自の宇宙的なブラジリアン・サウンドを開拓している。そしてサウンドは正にずば抜けて宇宙なのである。
ミルトン・ナシメントが作る音楽が、もう宇宙である。もうなんて言っていいのか分からない程難解で、高度な音楽を作っている。今回紹介してきた民族音楽紀行の中でも、とびっきりの難解さを誇っている。
ミルトン・ナシメントの曲を聞いたら何処かどの国や分からない異空間に無条件で飛ばされてしまいます。
もう美しすぎて訳が、分からない……。凡人を寄せ付けないような彼独特の世界感。母国ブラジルの音楽をベースにアメリカのロックやジャズのエッセンスを取り入れたり特に今回紹介する「ミナス」というアルバムにおいてミルトン・ナシメントのサウンドは、ジャンルも特定不可能な未知の音楽を繰り広げている。ウェイン・ショーターやパット.・メセニー等の多くの名だたる名ジャス・アーティストとも共演を果たしている。彼も心底ジャズを愛しているのだ。
またそこが面白い。でも、どこら辺がジャズとかロックとかはもう軽く超越していてほとんど、悟りみたいな、天空の神様が目の前に降り立ったみたいな一種のスピリチュアムな音楽空間を形成している。
ミルトン・ナシメントの代表曲、「ポンタ・デ・アレア」を聞いてみれば、スイマセン、ミルトン・ナシメントの魅力を語りくしたかったのですが改めて彼の曲を聴いてみればこの文字だけで伝えきれないあまりにも宇宙に超越しすぎて何も言葉が出てこないです。
そもそもレビューでご紹介しようと思ったのが大きな間違いでした。スミマセン、ちゃんと紹介します。でもこの文面だけで表現できるようなお伝えできるような力量が無いことをここでまたお詫びします。ミルトン・ナシメントの代表曲「ポンタ・デ・アレア」は、様々なアーティストにもカバーされています。
イントロの子供たちの歌声につられて、彼の天使のようなハイトーンヴォーカルが、いきなり耳襲ってきます。もうそれだけで彼の音楽的宇宙は十二分に形成されていますが、彼の美しいハイトーンヴォーカルはまるで一人の儚げな女性の様です。一度聞いただけでは、性別も判断不明です。これが一人の男性が出している声とは全く本当に思われないです。 彼は様々な声を出せて、まるでこの世のもとは思えない美しい歌声を響かせています。
その声は、‘ブラジルの声‘とも言われて絶賛されています。神様の声ってまさにこういう声のかもしれないです。そして、バンドが曲に乗っかりファンキーかつ神秘的な世界へと我々を誘います。そしてこの曲は様々なバージョンがあってこの「ミナス」のアルバムのバージョンと世界的に有名なジャズ・プレイヤーのウェイン・ショーターと共演しているバージョンもありそちらもおすすめです。ブラジル音楽って一言でいえばサンバやボサノヴァが真っ先に浮かびますがミルトン・ナシメントのように、探っていったらとても奥が深く一度はまったら抜け出せない魅力があります。
ブラジルの音楽の構造は様々な音楽の中でも隋一を誇る程の、高度で難解な構造になっていて、一度聞いただけでは分からない様々な要素が詰まっています。ミルトン・ナシメントは、14歳の時初めてギターを手にしてバンド活動を始めました。養父は銀行家従業員、数学教師、電子専門家、音楽の教師、聖歌隊歌手、更にラジオ局のDJまで務める多彩な人物でミルトンを実の子供と一緒に養いました彼の突出した音楽的な才能は、ここからきているのかもしれません。
05「記憶からの生還」
白アリの餌食にされた木製の金管楽器って言えば、人はまずどんな楽器の姿をイメージするだろう…..。中身は白アリに食べられた為空洞で筒抜け状態になっている。元は普通の其処ら辺にある木のためサイズはバラバラで
一見誰から見ても謎の楽器である。
しかもそれを原住民ではなく日本人のアーティストが吹いていてバックに鉄壁の強力な日本リズム・セクションが3人も付いたら….ととてもユニークでド強力な人力グルーブトランスバンドのGOMA & THE Jungle Rhythm Sectionをご紹介します。
まだ、頭にはクエスチョンマークが多くついている筈だ…冒頭でシロアリに食べられた木製に金管楽器とは、深い迫力のある重低音とまるで電子音みたいなループの音色を出すディジュリドウというオーストラリアの原住民アボリジニが大切な儀式の時に吹いていた伝統的な民族楽器だ。
名前も説明も謎だらけなのだが…..ごく最近のTV-CMでその音色がテレビに流れている浅田真央が出演しているロッテデュアルのCMや美容のオルビススキンケアの「水のある肌景」のBGMで流れている謎の音色がこのディジュリドウの音色だ。
コメントでは、何これ怖い等と寄せられていますが…….まぁ、ボワンボワンボワンと直にこの楽器だけで聞いていたら怖くなるのも仕方ないです。演奏方法は基本的には息を吐きながら鼻から息を吸う循環呼吸によって行われます。循環呼吸は他にサックスやトランペットの金管や木簡楽器のテクニックで用いられてる奏法です。
循環呼吸を身に着けるのも、鍛錬が必要です。
ディジュリドウは音階が無くほとんどリズム楽器に近い不思議な楽器ですが、その楽器がバンドのメインになっているのもまた不思議です。それはあの音色から来るものなのでしょう。
民族楽器は不思議で個性がキツイ特徴的な音色を出す楽器が多いですがディジュリドウは特に耳に残るような音色を放ちます。ここ日本では余り有名ではなくて一部のマニアの間で語られていた楽器ですが、ここ最近はGOMAの人気もあってか着実にファンの間で話題になっています。でも未だにGOMAはディジュリドウの有数な奏者です。
これからも増えていって欲しいです。
楽器の外にはアボリジニの原住民が掘ったビーズのような個性的な文様が描かれていてインテリア目的で購入する人もいるそう。その文様が見事で、ホントに精密に作られているのでそれを掘った原住民の技術は凄いです。
GOMAさんは、当時彼がヒップホップダンサーで活躍していた時に友人に連れられて見に行ったライブでディジュリドウに出会いましたそして4年の歳月をディジュリドウに注ぎましたが当時の日本の情報量があまりにも少なく単身オーストラリアに飛び現地のアボリジニに教えてもらいながらバスキングというストリートスタイルの活動を続けた。
結果彼はオーストラリアの原住民アボリジニーの聖地であるアーネムランドにて開催されるディジュリドゥコンペティション。ノンアボリジニー奏者として準優勝を飾った。
これはディジュリドゥという楽器においての歴史を大きく塗り替える出来事として、各国で非常に大きな話題、反響を呼び、アボリジナルカルチャーの歴史に名を刻んだ。後にこの大会で、アボリジニーとノンアボリジ二ーが一緒に審査されることは無くなった。そして順調に活動を進め4枚のソロアルバムを制作して、様々なアーティストと共演し
遂にこの鉄壁のリズムセクションを誇るGOMA & THE Jungle Rhythm Sectionを結成して2枚のアルバムを発表、バンドの活動も軌道に乗りかけた時、2009年彼は車内で、首都高にて渋滞で停止していた所に突然後続車が追突するという交通事故に巻き込まれ一時活動を休止した。
幸い命に別状は無かったのですが、担ぎ込まれた病院で医師に外傷性脳損傷と診断され彼の脳に事故のショックで
後遺症が残り高次脳機能障害の症状が始めた。
高次脳機能障害の症状は脳のダメージによる記憶障害や注意障害が代表的で前に覚えていた事が思い出せなくなったり対人関係の問題が出たり新しい事が覚えにくくなったりする症状が出ます。
彼はその後遺症で記憶障害になり様々な症状が出始め今までやってきたディジュリドウの演奏などを覚えなおさなくてはなりませんでした。もう彼の復活はもう望めないと思いました。
が突然彼は何かに突き動かされてアボリジニの文様の様な印書画を描き出しました。事故後一週間後に、彼の印象画の絵画展を開き1週間という短い会期ながらも約2000名もの人が訪れ社会的にも大きな関心を集めました。
今も事故の後遺症と戦いながら、シーンの一線で活躍しているアーティストです。
そして時は2011年、日本の行われる音楽フェスティバルの頂きーITADAKI―フェスティバルのシークレット・ゲストでGOMA&THE JUNGLE RHYTHM SECTIONとして出演してライブは彼が事故に遭い脳に後遺症が残り
果たしてかれが無事演奏出来るのか……大勢のお客さんが彼の登場を心待ちにしていました…….ライブは、彼もそしてずっとGOMAの復活を待っていたお客さんをも予想を超えたGOMAの伝説的な復活ライブとなりました。本当に奇跡としか言いようのないGOMAの復活でした。
お客さんの動員数は、とても満帆で入場規制が掛かる程の入り具合でした。自分がこの時GOMAをテレビで初めて知りました。終演後の彼が無事ステージが終わりいろんな思いがこみ上げて感極まってステージの中央で号泣している姿はいまでも鮮烈に自分の脳裏に残っており感動を抑えることが出来ませんでした。
その時のステージは自分にとってとても衝撃的で以来自分はGOMAとディジュリドウの虜になっています。日本にこんな音楽をしている人たちがいたんだ!。
ライブ後に感極まって一人歓喜の雄たけびを挙げる彼の姿はとても印象的で彼は本当に死の淵から生き返って、今こうして生きて大勢のお客さんの目の前でライブを行えれる事を心から感謝している姿だと感じました。
もう望めないと思っていた、お客さんの目の前で行ったライブ。そしてもう二度と演奏出来ないと思っていた自分とそれを支えてくれたバンドメンバー、そしていまかいまかと彼の生還を待っていた
大勢のお客さん……彼は本当にファンから愛されているんだなぁと感動しながら思いました。
そして、GOMAのディジュリドウとの出会いから不慮の事故に遭い後遺症に悩みながらも彼の深い家族愛と奇跡の復活までの物語を松江哲明監督が
「フラッシュバックメモリーズ3D」として映画になりました。
全編にGOMAの音楽が鳴り響き、彼の栄光と挫折、そして再生の物語が
ドキュメンタリー映画として描かれています。そしてこの映画が東京国際映画祭で観客賞を受賞。2013年より各地で一般公開され、観客動員数2万人を越える大ヒットを記録しました!。
2014年秋、東京・赤坂ブリッツと大阪・なんばユニバースにて、バンド結成10周年記念イベントを開催、いずれも超満員御礼の大盛況となりました。
見事、彼は死の淵から、生還できたのです。
ディジュリドウと共に波乱万丈な人生を過ごしてきたGOMAさん生きることの大切さを学びました。
06「フロム・アメリカ・ニューオリンズ」
車のカーラジオから流れていた自分の耳に入ってい音楽の一つで、もしかしたら今の自分のエキゾチックな趣味や趣向はここから既に始まっていたのかも知れないです。そう思わせる程思議でおどろおどろしくもあるファンキーなバンドです。
巨大都市アメリカの端っこでジャス発祥の地でもあるアメリカ一熱い町ニューオリンズの音楽がある。ニューオリンズの音楽は、音楽の聖地と言われるアメリカの中でもかなり独特で個性のある音楽だ。
かなり独特で一番アメリカの黒人のルーツでもあるアフロ・アメリカンの歴史や模様をハッキリと写した街でもある。そして2月になればニューオリンズの住民が一斉にに集まり、紫や金色、緑のカラフルなビーズを身に着けて住民総出の伝統的なパレードの「マルディ・グラ」が行われる。リオやニースと並ぶ世界的にも有名なカーニバルです。そんなエキゾチックで刺激的な街でアブナイ街でもあるニューオリンズは文化も音楽も独特だ。
葬式で棺桶が教会から出てきて、墓場まで運ばれて行く時にブラスバンドが亡くなった人を伴うためにゆっくりとした悲しい讃美歌を演奏するが、お葬式が終わり悲しいムードで帰っていく時は最初の悲しい讃美歌と打って変わってブラスバンドが、アップテンポで軽快な「セカンド・ライン」と呼ばれるニューオリンズ独特なマーチングリズムを主体に演奏をして天国に行く死者を元気に送ろうという伝統的な習わしがある。最初このお話を父から聞かされた時にはビックリした。「お葬式の後にあんなアップテンポの楽しい音楽をやっていて良いのか….と」でも同時に「海外の冠婚葬祭の模様は、楽しく盛大に死者を伴う方が多いのではないのか….」とも思った。
このマルディ・グラのほかにもお葬式で楽しく盛大に送る事例は多くあります。
厳かに静かに死者を伴うお葬式は日本ならではなのかもしれないです。お葬式で演奏されている曲目で一番ポピュラーな曲で誰でも一度は聞いたことのあるだろうメロディーの「聖者の行進」がある。
ニューオリンズでの代表的なミュージシャンはジャズやファンク以外でも数多くいてまさにこのニューオリンズの音楽風景を支えてるといっても言いだろう。
例えばアメリカのラッパーでスケートボード大好きな大ヒットを飛ばしている有名なラッパーリル・ウェインもニューオリンズ出身だ。
そしてジャズの生みの親で誰もが聞いたことのある「この素晴らしき世界」の作曲者で気持ちのいいダミ声が特徴的なジャズトランぺッタールイ・アームストロングもこのニューオリンズの出身である。彼はこの地でトランペットを手にして数々の名演奏を生み出したのだろう。その時代に生まれたかった。ルイ・アームストロングは今のハーゲンダッツのテレビCMのBGMにもなっている。
ネヴィル・ブラザースは最初、ミーターズという4人組のニューオリンズR&Bファンクバンドで活動していました。
「シッシー・ストラット」や「ルッカ・パイパイ」等のファンク・チューンを生み出しました。今はネヴィルは台風カトリーナの影響でバンドが散り散りになり活動は行っていませんが、残ったメンバーでNEVILLS名義で活動を続けています。