着物で京のはんなり魅力に浸る
風情溢れる古き良き京都にて。

着物旅プリクラ、金志柔

最近、国内の人々だけではなく、外国人観光客からでも話題となっている「着物旅」
そして着物といえば欠かせない、風情溢れる街“京都”にて。はじめての着物をきて、友達とはんなり着物旅に出かけてみました!
カラフルなインスタ映えを狙ってみたり、たくさんの見ものや京らしき食べ歩きをしながら、色々な京を感じました。着物旅を通じていつもとは、また違った雰囲気や感覚が広がりました。


ある日、わたしはカフェに座って友達と話していました。“次どこに遊びにいく?”と予定を立てている中、最近流行りの”着物旅”をすることになりました。
“着物旅”とは、日本の伝統的な衣服である着物をきて、街角を散歩することです。自分の持っている着物を着る人もいれば、レンタルの着物を着る人もいます。今では国内の人々だけではなく、外国人観光客からも注目を浴びているみたいです。
そして今日、わたしも京都にて初めての着物デビューをしてみました! これからはわたし風の着物旅の一日を話してみようと思います。

着物、金志柔


友達とは祇園四条駅で待ち合わせをしてから、予約をしていた着物の貸し出し店に向かいました。日本人や様々な国々から訪れた外国人、国籍関係なくみんな着物という共通の目的でお店は賑わっていました。大変人気だったので着物旅を考えている方はレンタル店の事前予約は必須ですね!

色とりどりの着物たちの中から自分がきたい着物を選ぶのにとても悩みました。わたしは青紫色のベースに色々な花が描かれている着物を、友達は薄紫色のベースに菊の花のような文様が描いてある着物を選びました。自分がきたい着物を選んだら、あとはお店の方が着付けをしてくれます。お店の方は親切で悩んでいるわたしにアドバイスをしてくださったり、話しているといい気分になれました。

綺麗な着物に着替え終わって小物と靴を選んだら準備は終わりです。京都の街並みが好きでよく訪れるのですが、普段はめったに着る機会のない着物を旅先であえて着ることで新鮮で何だかわくわくしてきました。

お団子、金志柔


今日は着物を着た記念にたくさん「写真を撮ること」と「食べ歩き」をしようと決めていたので、思いのゆくまま京都の坂道を歩き始めました。最初は草履になれなくてよくこけちゃいましたね。人々につられてぶらぶらと歩くと、焼きたてのお団子を売っている店を見つけたのでお団子を食べました。

そこから少し歩くと綺麗な桜が咲いている木があったので、つい立ちどまり写真を撮りました。わたしたち以外にも着物を着ている人々が多く色々な着物姿を目にしました。 元々「着物」は単なる「着るもの」という意味の言葉だったのですが、西洋の人々が着ていた衣服「洋服」に対して従来の日本の衣服、すなわち和服を総称するようになったみたいです。

ここでひとつ!着物にまつわる風習があります。着物を着るときには襟を左前にしてはいけなく、右前にすることがルールです。右前とは相手から見て右側、つまり自分の左側の襟が右側の襟の上になるということです。左前に着ることは死装束になってしまうので、縁起が悪いと思われているのです。この風習は奈良時代の法律が起源になっているといわれています。
奈良時代の719年に出された「衣服令」という服に関する法律が定められました。中国の思想が影響し、左の方が右より上位であったことから、位の高い高貴な人だけに左前を許し、「庶民は右前に着る」とされたのです。この背景から来世では今と違う生活ができるようにという願いをこめて、死者に着物を左前にしたのがはじまりだといわれています。これ以降右前に着ることが定着したと考えられています。

豆腐まんじゅうとわらびもち、金志柔


色とりどりの着物、風情溢れる京都に囲まれ、京の坂を巡っていくとその坂たちにはたくさんの魅力が隠れていました。綺麗な桜の花が咲いている木の前で写真を撮って、二寧坂・三年坂を通りながら、ぶらぶらと歩いていくとまた違った雰囲気にまとわれました。今回わたしたちの着物旅テーマの中のひとつである「食べ歩き」を果たすために、おいしそうな京らしき食べ物を探していると奥丹の豆腐まんじゅうというお店を見つけました。
奥丹といえば豆腐料理で有名な約380年以上の歴史を持つ清水の老舗だそうです。ひとつ豆腐まんじゅうを買い、ふたりで分けて食べました。生地には豆乳が使われていて、中には餡に野菜を刻み込んだ味付けおからが入っているみたいです。ほくほくであつく、ほんのり甘くしっとりした食感でものすごい優しい味でした。

次は友達の好きなわらびもちを食べにいきました。わらびもちはわらびこにもち米を加えてつくったもちで、きな粉や黒蜜をつけて食べます。ですが、ここは抹茶で有名な京都でもあったので、抹茶味のわらびもちも味わうことができました。抹茶・きな粉・黒蜜と三種類の味がありましたが、どれもほんのり甘くぷるんぷるんと変わった食感でおいしかったです。また、わらびもちは醍醐天皇の好物で太夫の位を授けたという言い伝えがあり、そこからわらびもちの異名を岡大夫(オカタユウ)ともいいそうです。

八坂庚申堂、金志柔

八坂庚申堂、金志柔


小腹を満たしたわたしたちは、食べ歩き以外にもうひとつのテーマであった「写真を撮ること」を目指しにいきました。その場所へ向かっている途中、「八坂の塔」を見つけました。八坂の塔は「五重塔」とも呼ばれ、東山周辺のランドマークとなっている高さ46mの塔であります。
八坂の塔は529年に聖徳太子が如意輪観音の夢告によって建てたとされ、京都最古の塔ともいわれています。また、塔の真ん中を1本の大きな芯柱が貫いており、この柱が塔を支えています。現在の塔は1440年に足利六代将軍義政によって再建されており、国の重要文化財の指定を受けています。

次に八坂の塔を目印に、赤いくくり猿が吊るされた塔ノ下商店街を登るとすぐ、カラフルなくくり猿の写真でこの頃インスタで話題になっている「八坂庚申堂」につきました。みんな綺麗な着物をきて、フォトジェニックな写真を撮るためにここに集まっていました。八坂庚申堂の扉を越えた瞬間、色とりどりのくくり猿たちが迎えてくれて、その光景に目が引かれました。わたしたちもそこに混ざって、ちゃっかりインスタ映えを狙っちゃいました。

八坂庚申堂の正式名称は「大黒山延命寺金剛寺」といいます。中国の道教由来で、干支の庚「申(さる)」を意味しています。カラフルなお手玉のようなものは「くくり猿」といって、手足をくくられて動けない猿を表すお守りです。欲のままに行動する動物の猿を人間の欲にたとえており、その人間の中にある欲望が動かないように庚申さんによってくくりつけられているのです。くくり猿に願いを託し、欲望を我慢すれば願いが叶うとされています。猿は庚申の使いとされているので、あの有名な「見ざる、言わざる、聞かざる」の3匹の猿が八坂庚申堂内の境内のいたるところに隠されているみたいです。

食べ歩き、金志柔


八坂庚申堂と八坂の塔を巡り、また違う京の魅力を探して足を運びました。その前に何だかお腹が空いてきたので、まずはごはんを食べにいくことにしました。過去を感じさせるレトロな雰囲気や建物、だが、その中に共存する現代の物語り、風情を感じる坂道が続く小道を歩きまわると、ある蕎麦屋さんを見つけました。今日のごはんはここにしようと決まり、中に入ると小さい店内でしたが、外国人観光客でいっぱいでした。
大家族のようで、みんなえびの天ぷらが大好きみたいで、ずっとえびの天ぷらだけをお代わり注文していた姿が面白かったです。

お腹もいっぱいになったわたしたちはお店を出て、次は京の坂にそってずらりと並んでいる個性豊かな店たちに目を移りました。お茶と一緒に色々な梅干しを試せる梅干し店、漬け物屋さんや京都らしきものが売っているお土産屋さんと八ッ橋の元祖店などの様々なお店がありました。
京都の定番商品でもある八ッ橋とは、蒸した米粉に砂糖とニッキとをまぜた生地を、琴の形に堅焼きにしたせんべいです。また、焼かないで二つ折にして小豆あんを挟んだのを生八ッ橋といいます。
お店たちを見回り、スイーツが食べたくなったのでクレープと抹茶味のアイスクリームも食べました。

八坂神社、金志柔

清水寺、金志柔


京の坂みちに沿ってぶらぶらと歩き登ると、清水寺の正門である仁王門にたどりつきました。綺麗な桜の花とたくさんの人々で栄えていました。わたしたちも綺麗な桜の木の下で、またひとつの思い出の瞬間を撮ることができました。
着物旅を楽しんでいる内に、日も暮れ、着物の返却時間が近づいてきたので、お店の方に歩いていきました。戻る道の途中に、八坂神社を見つけたので立ちどまり最後の“着物旅”の写真を残すことにしました。色々な写真を撮っているとき、一人旅をしているある外国人観光客から写真を撮られていました。何だか恥ずかしくなりましたね。

京都はいつもの暮らす空間とはまた違う雰囲気で、その中にいるわたしは何だか現実と離れ、時間が止まっている空間のように感じました。
わたしたちが巡り歩いた、どの京の坂たちもそれぞれ違う雰囲気や魅力がありましたが、変わらないのはどこにも色んな国々から訪れにきたたくさんの人々で賑やかなところでしたね。

わたしたちのように着物をきている人、京都の風景を残そうとカメラで写真を撮っている人、家族旅行にきている人…。それぞれ自分たちだけの思いがあり、この京都にきているのでしょう。
着物を着たことで、普段とはまた違うなれない自分や雰囲気に出会えることもできて、何だか特別な感じもしました。普段の毎日に少しの何かを加えることができる「着物旅」とはより記憶に残る意味のある思い出になるのではないかと思います。

大阪芸術大学短期大学部メディア・芸術学科・出版 金 志柔

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