国際的スケート選手、安高きら。
世界と日本の架け橋目指す未来人
ローラースケートで世界を目指す現役大学生がいる。安高きら、20歳。正式な種目名は「ローラースポーツ競技スピード種目」という。人生の半分をスケートに捧げてきた彼女に密着取材した。
「スケート」といえば、アイススケートの「フィギュアスケート」や「スピードスケート」を連想する人が多いのではないだろうか。
スピードスケートの陸上版だというインラインスケート又は、ローラースケートは、正式には「ローラースポーツ競技 スピード種目」と言われている。しかし、これだけではどんな競技なのか伝わらない。それほど、世間に浸透していないマイナーなスポーツだ。
ローラースポーツのスピード種目というのは、スケートリンクが地面で楕円形のスケートリンクの外周200mのトラックを周回して速さを競う競技。スケートシューズには、アイス用の靴底についているエッジというものに変わって、四輪のタイヤが縦並びでついている。
スピードを競う種目であるため、ルールや結果がわかりやすく、気軽に観戦することができる。時速50kmの速さで、いつ追い抜くかなどの駆け引きでレースが繰り広げられている。初心者の筆者が観戦した感想では、そこで追い抜けるのか、という展開もあってかなり見応えがあった。
ローラースポーツ競技は日本では認知度が高くない。それでも、2020年に開催される東京オリンピックの追加種目候補として選ばれていた。残念ながら結果は落選。追加種目に決定していたら世間的に注目されるきっかけとなっていたことは間違いない。
今まで広まるきっかけがなかったため、日本では圧倒的に競技人口が少ない。プロ制度も導入されておらず、技術的にもまだまだ発展途上であり、現役の選手もより良い方法をそれぞれで模索している。続けていてもプロになる道がないと、将来への不安を感じ、やめていく選手も多いという。
ところが海外では認知度も高く、プロ制度を導入している国も多い。さらに国によっては、町で交通手段として使われていることもあるほど、スケートは身近に知られている。
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現在日本では、国内の大きな大会でも、全国から多くて二百人ほどの選手が集まる。競技人口は少ないが、その分誰にでも可能性はある。ローラースポーツのスピード種目は、技術的にもマニュアルのようなものがないため、まだ正解は存在していないことや、スピードを競う競技であるため、スケートシューズに慣れてしまえば、練習や努力次第では誰でも上を目指すことは出来る。
そんな希望に溢れたこの競技は、2024年に、フランスで開催予定のパリオリンピックに向けて、未来で活躍するジュニア世代の子どもたちの育成と、新たにスケートを始める子どもたちを待ち望んでいる。
まずは、気軽にスケート場に遊びに行ってみてはいかがだろうか。
世界で活躍する安高きらの素顔に迫る!
―― 今回、筆者とは中学校以来の友人であり、ローラースポーツ競技スピード種目で活躍する、安高きらさんにお話しを伺いたいと思います。
「よろしくお願いします。ふふ。」
―― ローラースポーツ競技というのは、あまり聞き慣れない競技ですが、どういった競技でしょうか?
「簡単に言うと、平昌五輪でも話題となったアイスのスピードスケートの『陸上版』です。あまり詳しく言ってもイメージが沸かないと思うので、こう表現することが多いです。ほかにはスケートシューズはアイス用ではなく、縦に四つのタイヤがついたローラーシューズを履いているところが特徴です。」
―― なるほど。日本ではあまり知られていない競技なんですね。
「アイススケートのほうが断然、知名度はありますからね。勿論、この機会にローラースケートのほうも、知ってくれる方が増えるといいなと思ってはいます。」
―― 2020年の東京オリンピックの追加種目の候補として挙げられましたが、惜しくも落選という結果になってしまいました。そのときは、どんな心境でしたか?
「まぁ、しょうがないなとは思いましたが、やっぱり悲しい気持ちもありましたね。」
―― やはり知名度がないと厳しいところはありますよね。
「テレビでも取り上げられないので、自らSNSなどでの自己発信は行っていますが、それだけでは多くの人に知ってもらうのは難しいですね。でも、日本でもっと有名になってほしいと、心の底から思っています!」
―― ちなみに、知ってもらうきっかけになるようなアピールポイントはありますか?
「見るのが簡単で楽しい!ルールや結果がわかりやすくて、誰でも見やすいところです。あと、時速50㎞ものスピードを出して、駆け引きをしながら競っているので、選手にとってはなかなかハイレベルな頭脳戦でもあります。見ている人からすると、そこで追い抜くの!という場面もあって、非常に見応えはあると思います。」
――なぜスケートを始めたのですか?
「きっかけは親です。親がスケートにハマって、一緒に連れて行ってもらってました。そのスケート場で、スクールがあることを知って、まずはそこに親子で入会しました。」
―― そのときはまだ競技用のスケートではなかった?
「そうです。ただ親子で楽しく滑れるようなスクールでした。」
―― では、いつから競技用に転換しようと思ったのですか?
「スクールに通っていると、スケート場の外周で練習している競技用の選手がいて、その姿をかっこいい!と思ったのと…」
―― まだあるのですね?
「あと、その選手たちがいつもお菓子を交換していて、それを見て私も『お菓子が欲しい!』とずっと憧れていたんです。(笑)」
―― …驚きました、全くスケート関係ないじゃないですか!それで競技用に?
「5歳くらいの時に、競技用スケートの方から、体験に来ないか?というお声かけをしていただいて、親がハイッ!と返事をしたところから始まりました。」
―― これで読者にも、安高選手の人柄が伝わった気がします。
「よかったです!」
―― 5歳からスケートを始めて、今20歳ということは、15年間…人生の半分以上も続いているのですね。そんなに続けていると、挫折もあったと思いますがどうでした?
「うーん。中学生の時が一番きつかったですね。小学生の時は周りの子たちよりも背が高くて、スピードも出せるし、楽しく滑っていたんですけど、中学生になって今まで体格で勝ってきたところが、技術で負けるようになって、かなり伸び悩みました。」
―― スポーツにはツキモノですよね。そういったスランプというのはね。当時、友人として話を聞くことも多かったですが、本当によく悩んでいました。
「人間関係でも色々あって、本気でスケートをやめようと思っていました。」
―― 結果的に辞めなかったのはなぜですか?
「中学3年のとき、世界戦の日本代表選手として選ばれて、これで最後にしよう。高校生になったらJKらしく楽しもう、と思って大会に臨みました。しかし、ふと考えたときに、自分からスケートを取ってしまえば何が残るだろうか。やめるのなら、もっとやれることをやってからやめよう。と自分にとって、スケートの存在の大きさに気づきました。」
――それからはもう完全に吹っ切れましたか?
「それ以降、やめようと思うことはなくなりました。だから、それが一番大きな挫折だと思っています。」
―― より一層、スケートと向き合い始めたのですね。学業との両立についてはどうですか?大変ではなかったですか?
「両立が厳しいことを承知の上で高校に通っていましたが、今考えるとよくやっていたなと思います。毎朝早起きして、スケートの朝練をして、学校へ行き放課後まで残って勉強した後、スケートの練習というのを毎日繰り返していました。」
―― 現在は大学生ですが、変わりましたか?
「高校生時代がしんどかった分、今は全然です。むしろ、大学のほうが自由に時間を使えることが多いので、充実しています。ただ大学などで海外に行くとなれば、公欠ができないので、各授業の先生に直談判をしに行きます。課題などを出してもらい、単位を落とさないようにして頑張っています。」
―― 周りの大学生は、サークルやアルバイトなど、楽しい生活を送っている人も多いと思いますが、そこで心が揺らいでしまうことはないですか?
「確かに周りは楽しそうですし、憧れることも勿論あります。ですが、私は私でスケートをしたくてここまで頑張ってきたわけで、やりたいならやればいいし、やりたくないことはやらなくていいと思ってるんです。逆にそういった周りの環境によって、私自身の意識を確立出来るようになったのもあります。」
―― 刺激をもらっているということですね?
「刺激というよりかは、自分と同じ立場の人がいないからこその考え方です。勿論、刺激をもらえる友達も居ます。」
―― それはどんなお友達ですか?
「その友達はかなりのスポーツマンなんですが、お互いに怪我をすることもあって…そういったときに次にどうするかを考えられる子。前向きな言葉をくれることは支えになります。」
―― ここまでやってくるのに、家族の支えもあったと思いますが、それも力になったのではないですか?
「家族には本当に『ありがとうございます。』の一言です。いい意味で。やはり認知度が低い競技であるため、国外の試合に行くのもお金は全て自己負担になります。そういった資金の準備や、練習の帰りを待っていてくれたり、あと一番は自由にさせてくれることですね。今まで反対をされたことがなくて、やりたいことはやりなさいと尊重してくれるんです。」
―― 安高選手の先ほどの「やりたいことはやればいいし…」という言葉は、ご両親から受け継がれているのですね。
「確かに、そうですね!」
―― 20歳を迎えた今、何か新たな夢や目標はありますか?
「今、大学まで行かせてもらって、色々と経験させてもらったことを、それぞれ活かしていきたいと思っています。」
―― 具体的には、どういった道に進みたいと考えていますか?
「スポーツトレーナーという道も考えています。あとはとにかく、自分が長年やってきたスケートを、次の世代や小さい子どもたちに教えていきたいです。東京五輪の追加種目競技の候補に選ばれるほど、波に乗っているので、この波にもっと乗っかっていきたいですね!」
―― 沢山の質問に答えて頂いてありがとうございました。最後にお聞きします。安高選手にとってスケートとは何ですか?
「『風になる』ことです!」